KenjiSawada『沢田研二』⑦
小学館発行の『GORO』の記事をご紹介します。
1974年のジュリーのインタビュー記事(前後ページ略)。
この時代のテレビ界は、まさに歌謡、演歌歌手の独占状態。
そんな中、栄えある日本レコード大賞は、歌手のみなさんの
大きな目標だったですよね。
このインタビューでも、「この賞がほしい」と書かれています。
ちなみに、この年の大賞は逃しました。
とにかくこの頃の賞レースは、毎年、ベテラン歌手が凌ぎを
削ってましたが、それゆえ「大賞」となるには、何かがひとより
抜きに出ていないと受賞できない感じでした。
74年は、フォークと縁がないはずだった演歌歌手の森進一さんが
吉田拓郎の提供曲「襟裳岬」を歌って大賞。
75年は、売れ出していた小椋 佳さんから提供された「シクラメンの
かおり」をこれまた少しイメチェンしてギターを持って歌った
布施明さんが大賞。
76年は、「アンコ椿は恋の花」以来、10年50曲以上のシングルを
経て、作詞:阿久悠、作曲:小林亜星という売れっ子コン
ビによる「北の宿から」を熱唱した都はるみさんが大賞。
77年、 圧倒的なビジュアル系歌手として、そして演歌組を押さえ
込んでしまうほどの歌唱力をもって沢田研二さんが受賞。
曲は「勝手にしやがれ」。
このGOROインタビューから3年後でした。
ちなみに、72年、ちあきなおみさん、73年が五木ひろしさん
ですから、
この顔ぶれの中で、
ジュリーが成し遂げたことは偉大なことでした。
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1974年のジュリーのインタビュー記事(前後ページ略)。
この時代のテレビ界は、まさに歌謡、演歌歌手の独占状態。
そんな中、栄えある日本レコード大賞は、歌手のみなさんの
大きな目標だったですよね。
このインタビューでも、「この賞がほしい」と書かれています。
ちなみに、この年の大賞は逃しました。
とにかくこの頃の賞レースは、毎年、ベテラン歌手が凌ぎを
削ってましたが、それゆえ「大賞」となるには、何かがひとより
抜きに出ていないと受賞できない感じでした。
74年は、フォークと縁がないはずだった演歌歌手の森進一さんが
吉田拓郎の提供曲「襟裳岬」を歌って大賞。
75年は、売れ出していた小椋 佳さんから提供された「シクラメンの
かおり」をこれまた少しイメチェンしてギターを持って歌った
布施明さんが大賞。
76年は、「アンコ椿は恋の花」以来、10年50曲以上のシングルを
経て、作詞:阿久悠、作曲:小林亜星という売れっ子コン
ビによる「北の宿から」を熱唱した都はるみさんが大賞。
77年、 圧倒的なビジュアル系歌手として、そして演歌組を押さえ
込んでしまうほどの歌唱力をもって沢田研二さんが受賞。
曲は「勝手にしやがれ」。
このGOROインタビューから3年後でした。
ちなみに、72年、ちあきなおみさん、73年が五木ひろしさん
ですから、
この顔ぶれの中で、
ジュリーが成し遂げたことは偉大なことでした。
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