KenjiSawada『沢田研二』⑨
ジュリーこと沢田研二さんは、70年代に入ると怒涛のシングル
ヒットを重ねていきました。
70年前半は、安井かずみ(ZUZU)さん作詞、加瀬邦彦さん作曲
の楽曲が多いです。
72年から3年目の75年半ばまで、ZUZUさんからシングル曲の
詞が提供されています。
その最後となった75年、ジュリーは、フランス語Ver「巴里にひ
とり」によるヨーロッパ攻勢や、結婚をしたりと大きな変化の年
となっています。
ZUZUさんの海外旅行や海外暮しは有名だけれども、あるとき
、滞在していたアメリカテネシー州から、「沢田研二への手紙」
として、雑誌「スタア」に掲載されました。
Image can not be found.
74年7月の「追憶/甘いたわむれ」のあとZUZUさんによる作詞
提供が一旦途絶えたので、その時期の渡航なのでしょう。
「あなただけでいい」でスタートしたZUZUさんのシングルヒット
ヒストリは、「あなたへの愛」、「危険なふたり」と続きます。
手紙の文面は、ZUZUさんがこれまでどおりジュリーへの作詞
意欲を綴っているけれど、
75年に入って提供した3作品は、なぜか皆B面になります。
タイトルも「風吹くころ」、「明日では遅すぎる」と続き、最後は、
「旅立つ朝」。ひとつの時代が終わり新しい旅立ちを示唆する
タイトルの変遷のようです。
ZUZUさんにとっても75年は、大きな変化の年になったと思います。
そして、ジュリーは、
作詞、阿久悠さん、作曲、大野克夫さんという新たな人たちと
新たなヒットヒストリーを生み出していきました。
ヒットを重ねていきました。
70年前半は、安井かずみ(ZUZU)さん作詞、加瀬邦彦さん作曲
の楽曲が多いです。
72年から3年目の75年半ばまで、ZUZUさんからシングル曲の
詞が提供されています。
その最後となった75年、ジュリーは、フランス語Ver「巴里にひ
とり」によるヨーロッパ攻勢や、結婚をしたりと大きな変化の年
となっています。
ZUZUさんの海外旅行や海外暮しは有名だけれども、あるとき
、滞在していたアメリカテネシー州から、「沢田研二への手紙」
として、雑誌「スタア」に掲載されました。
Image can not be found.
74年7月の「追憶/甘いたわむれ」のあとZUZUさんによる作詞
提供が一旦途絶えたので、その時期の渡航なのでしょう。
「あなただけでいい」でスタートしたZUZUさんのシングルヒット
ヒストリは、「あなたへの愛」、「危険なふたり」と続きます。
手紙の文面は、ZUZUさんがこれまでどおりジュリーへの作詞
意欲を綴っているけれど、
75年に入って提供した3作品は、なぜか皆B面になります。
タイトルも「風吹くころ」、「明日では遅すぎる」と続き、最後は、
「旅立つ朝」。ひとつの時代が終わり新しい旅立ちを示唆する
タイトルの変遷のようです。
ZUZUさんにとっても75年は、大きな変化の年になったと思います。
そして、ジュリーは、
作詞、阿久悠さん、作曲、大野克夫さんという新たな人たちと
新たなヒットヒストリーを生み出していきました。
この記事へのコメント