昭和38年に上映された若い東京の屋根の下、から
昭和38年(1963年)に上映された「若い東京の屋根の下」は、
当時の東京を忍ぶに充分な映像でたのしいです。
18歳の吉永小百合さんを見るのも楽しいけれど翌1964年の
東京オリンピックを前に経済・社会が発展している息使いが
感じられます。
オリンピック間に合わせようとする原動力が、1959年に首都高速道
路公団をつくり、64年のオリンピックまでに空港西(羽田)~芝浦~
浜崎橋JCT~芝公園や神田橋~呉服橋など、計42.2kmを建設し
てしまいました。
映画では、できたての首都高を使用しています。これは現在、都内
屈指の渋滞個所、浜崎橋JCT。羽田、横浜方面を撮っています。

グーグルのグーグルマップで現在の位置と方向を見ると、以下の赤いと
ころから↓の方向を撮っています。 この浜崎橋JCTの下り車線は、当然
自動車専用道だし、比較的緩やかなカーブなのでスピードが出ます。
現在では、撮影許可なんて出ないでしょうね。

これは、舗装したての綺麗な道路。白い車線が無いのが特徴。
本線ではないところの道路標識はバス停のように重石を使って
立てていました。

こちらは、吉永小百合さんを乗せたダットサン(日産)・ブルーバード
P312型。トヨペット(トヨタ)のコロナなどとともに経済成長期の代表
車。初期モデルは定員4名だったけれど5名に変更。かなり昔から、
後部座席3名、前席は2名だと思うけれど、このシーンでは前に3人
乗っています。あり?でしたっけ

当時の東京を忍ぶに充分な映像でたのしいです。
18歳の吉永小百合さんを見るのも楽しいけれど翌1964年の
東京オリンピックを前に経済・社会が発展している息使いが
感じられます。
オリンピック間に合わせようとする原動力が、1959年に首都高速道
路公団をつくり、64年のオリンピックまでに空港西(羽田)~芝浦~
浜崎橋JCT~芝公園や神田橋~呉服橋など、計42.2kmを建設し
てしまいました。
映画では、できたての首都高を使用しています。これは現在、都内
屈指の渋滞個所、浜崎橋JCT。羽田、横浜方面を撮っています。

グーグルのグーグルマップで現在の位置と方向を見ると、以下の赤いと
ころから↓の方向を撮っています。 この浜崎橋JCTの下り車線は、当然
自動車専用道だし、比較的緩やかなカーブなのでスピードが出ます。
現在では、撮影許可なんて出ないでしょうね。

これは、舗装したての綺麗な道路。白い車線が無いのが特徴。
本線ではないところの道路標識はバス停のように重石を使って
立てていました。

こちらは、吉永小百合さんを乗せたダットサン(日産)・ブルーバード
P312型。トヨペット(トヨタ)のコロナなどとともに経済成長期の代表
車。初期モデルは定員4名だったけれど5名に変更。かなり昔から、
後部座席3名、前席は2名だと思うけれど、このシーンでは前に3人
乗っています。あり?でしたっけ


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