中野サンプラザホールと吉田拓郎のLIVE’73

1973年は、てんとう虫のサンバや学生街の喫茶店なんて時代だし、
洋楽は、ジャンバラヤとか、カリフォルニアの青い空が流行った時代
だった。


ライブといえばサンタナが来日した時は強烈な印象が残っているけ
ども、日本のライブは数年前の中津川フォークジャンボリーや、ヒット
歌謡フェスティバル、キャロルぐらいだった。


吉田拓郎さんも、71年に3人組のバンドで「ともだち」を収録し、のち
のライブは六文銭やソロがほとんどだった。


なので、プラスやストゥリングス、コーラスを入れた吉田拓郎のビッグ
バンド形式のライブ73の成功は、その前兆がなかったこともあり奇跡
に近い功績で、以降陽水など多くのミュージシャンに刺激を与えたと
思う。


拓郎は、翌年の愛奴とのツアーや、75年つま恋のビッグバンドライ
ブをおこなうが、個人的にはLIVE’73を超える感動を与えてくれる
ものはない。まさに「奇跡」とか、「伝説の」というライブだった。


> 後年、有り金叩いて購入したJBL4343AWXにてLIVE’73を
  爆音で聞くと中野サンプラザホールを思い出す。
画像














過去ブログでも書いたけども、友人と11/27にこのライブを見
ている。ライブの会場だった中野サンプラザはその年、1973年は
こけら落しと言うべきオープンの年だった。


先日、中野サンプラザはあと数年で取り壊す話が出ていることを
知っときは想い出の地がなくなる寂しい思いがした。


LIVE’73は11/26,27の両日で約4,400名が立ち会えたはずな
のだが、当時のブログ等の記事をあまり見ない。


私より先輩であろう皆さんは恐らく年金受給者の域に達していると
思もわれ、パソコン等も不得手な方も多いかもしれない。しかし、


そこを何とか頑張っていただいてブログ等で当日の想い出などを綴っ
てほしいものだ。


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過去関連ブログ
https://futureindex2.seesaa.net/article/200702article_12.html
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この記事へのコメント

竹林厳論
2013年09月16日 10:53
こんにちわ、今年は『Live'73』40周年ですね。
当時の関係者さんに教えてネタをカキコします。
ライナーノーツに三番目のエンジニアとして記載され  ているSC9というのはSCIが正解で、実在する音響関係の
会社です。
『Live'73』の録音はSCIが所有するAMPEXの16チャンネルマルチトラッカーで行われ、トラックダウンはCBSソニーのSTUDER(おそらくA-80シリーズ)で行われました。
ちなみにSTUDERは同年、大阪でサンタナのライブ録音に使われたもの。
それでいくと『ロータスの伝説』と『Live'73』は兄弟ということになるんですかね?

駄文、失礼しました。
cary
2013年09月16日 21:57
竹林厳論さん、こんばんは。SCIが正しい
のですね。ありがとうございます。STUDE
Rネタもありがとうございます。兄弟かは
わかりませんが、ちなみに収録は、ロータ
スの伝説より3ヵ月程遅い11月末のLIVE'73
が弟分、リリースは、収録からたった25日
で年内に実現したLIVE'73が兄貴分、サンタ
ナのリリースは翌年の5月ですね。

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